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44歳で舌ガン、大動脈解離からも復活しながら肝細胞ガンには勝てなかった石原裕次郎【著名人の壮絶な闘病7】

石原裕次郎さん
石原裕次郎さん(C)週刊実話Web

3月28日に死去した世界的な音楽家・坂本龍一さん(享年71)は、亡くなる数日前に家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほどだったという。坂本さん以外にも、凄絶な闘病の末に旅立った著名人は多い。

〝昭和の大スター〟石原裕次郎さん(享年52)が、肝細胞ガンが原因でこの世を去ったのは、1987年7月17日のことだった。

兄である石原慎太郎さんの作品『太陽の季節』が芥川賞を受賞し、56年に映画化された作品に端役で出演したことがきっかけで芸能界入り。初主演映画『狂った果実』での共演を機に、のちに妻となる北原三枝(まき子夫人)と交際を始め、日活の〝ドル箱コンビ〟となる。

裕次郎さんが出演した映画や作品中の歌が次々と大ヒット。空前の〝裕次郎ブーム〟を巻き起こし、63年に「石原プロモーション」を設立すると、68年に映画『黒部の太陽』を製作して興行収入約16億円のヒットを記録する。

ところが、ハリウッド俳優を起用した70年公開の映画が大コケし、巨額の借金を背負ってしまう。

「そこで裕次郎さんは、急速に普及してきたテレビ番組の制作に舵を切り、72年からスタートした刑事ドラマ『太陽にほえろ!』が最高視聴率40%を記録する大ヒット。窮状を聞きつけ、傾いていた石原プロに飛び込んでくれていた渡哲也さんとは『西部警察』でブームを起こし、2枚看板で復活を遂げたのです」(芸能記者)

隠れてたばこを吸い続けた

しかし、78年の12月に舌ガンが発覚。まだ44歳という若さで見事克服したが、約3年後には「解離性大動脈瘤」を発症し、6時間にも及ぶ緊急手術を受けた。

「表向きには、好きなアルコールもたばこも絶ち、塩分の薄い食事を心がけていたとされるが、神田正輝や舘ひろしがのちに明かしたところによると、隠れてたばこを吸い、食事も徐々に元に戻していたそうです」(同・記者)

2度の病を乗り越えた裕次郎さんだったが、84年に肝細胞ガンが発覚し、壮絶な闘病の末に息を引き取った。

裕次郎さんの最後の入院は87年5月で、その前月の4月には美空ひばりさんも入院していたが、8月に退院。88年4月には東京ドームのこけら落としで奇跡の復活コンサートを開いた。

この間に昭和天皇も病状が悪化し、89年1月7日に崩御。ひばりさんも同年2月に北九州市のコンサートで唄いきった後に倒れ、6月24日に亡くなった。裕次郎さんと同じ52歳だった。

すでに「平成」になってはいたが、昭和気分が抜けない国民は、ひばりさんの死で〝昭和の終わり〟を実感したのである。

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