第8回/風俗カメラマン(吉田さん・50代・都内在住)
すでに休刊となってしまった月刊誌で、その男の写真を見たのは、今からおよそ20年ほど前のことだった。当時、私は写真週刊誌のカメラマンを辞め、フリーランスとして食っていこうと歩き始めたばかりで、横浜にあった色街・黄金町の外国人娼婦たちにカメラを向けていた。
その男が撮っていたのはタイの娼婦たちで、薄暗い場末のホテルの一室で、ルームライトだけの自然光で娼婦の後ろ姿を捉えたものだった。写真に添えられていたテキストによれば、男はタイの娼婦の写真をその月刊誌に連載していて、日本人旅行者などがほとんど行かないタイ南部の田舎町のホテルで、こっそりと娼婦の後ろ姿にカメラを向けていたのだった。
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写真は被写体の了承を得ていない、いわゆる盗撮されたものだったが、部屋の空気や女性の哀愁がにじみ出ていて、こんな写真を撮るカメラマンがいるのだなと驚いたことを今も鮮明に覚えている。
それからしばらくして、その月刊誌の編集者と知り合い、そのカメラマンを紹介してもらう機会を得た。
その日、私たちはバンコクにある日本料理屋で会った。吉田と名乗った男は、小柄で常に周囲に目を配り、瞳が忙しなく動いていた。タイに在住し、もともとはカメラマンだったものの、そのときは日系企業の工場で管理職をしていると言った。
私が出会った当時、吉田はタイに暮らしてすでに15年以上が経っていた。そして、暇を見つけては、現地のマッサージパーラーと呼ばれるソープランドやゴーゴーバー、さらには場末の立ちんぼが現れるエリアに足を運んでは写真を撮っていた。
これまで、タイに暮らす日本人を何人も見てきたが、初めは風俗通いに羽目を外すものの、数年で現地の彼女ができたりして、あまり通わなくなるというのが一般的だった。ところが吉田にはタイ人の妻子がいるにもかかわらず、娼婦たちにカメラを向け続けているのだった。
娼婦に執着する思いというのは、どこから湧き出てくるのだろうか。
「娼婦というのは、金銭の繋がりからやらせることというのが一般的ですけど、僕の場合、ちょっとキザかもしれないですが、カメラマンということもあるから、写真を撮りたいというそういう繋がり以外の欲求があるんですよ。商売を超えた表情が撮れるか撮れないか、行為以上の魅力を感じてしまうんです」
これまで、吉田は300人以上の娼婦にカメラを向け続けてきた。フルオープンまで撮った女性もいれば、服を着たままの女性もいるという。
ところで、娼婦にカメラを向けたきっかけは何だったのだろうか。
「20代の半ばからヨーロッパを拠点に戦場で写真を撮り始めたんですけど、当時からフランス人の彼女だったり、交際中の女性にカメラを向けてきました。戦場の写真で食えなくなって、バンコクへ流れてきたんです。偶然仕事が見つかって、初めてゴーゴーバーというものに連れて行かれたんですね。そこで、水着姿で踊る娼婦たちの姿に衝撃を受けました。それから、娼婦たちにカメラを向け始めたんです」
そのとき、吉田は26歳。娼婦というのは、陽の当たらない場所でこっそりと商売をしているものだと思っていたが、バンコクでは堂々していて、明るささえ感じたという。
戦場の人間と娼婦が重なる
一方で、戦場カメラマンとして生々しい人間の姿を撮ってきた経験から、娼婦たちの明るさの裏側を見たいという思いも芽生えたと語る。
「僕は戦場で、いろんな人間を見てきました。ものすごく利己的に生きているように思えた人間でも、土壇場になると、あっさりと他人のために死ぬことができたりして、矛盾に満ちているというか複雑な生き物だなというのを実感していました。だからこそ、娼婦たちの素の姿というものを見てみたいなと思ったんです。それと、女の子が大好きだというのも大きな理由です。娼婦を口説くために、たくさん貢いでもきました」
それからというもの、仕事でタイ国内に出張した際には、ローカルな置き屋から立ちんぼまで、娼婦を見つけてはカメラを向けるようになった。
「今から30年前は、スマホなんてない時代ですし、娼婦たちとの一期一会を写真に残したいという気持ちもありました。今はLINEを交換すれば簡単に繋がってしまう時代ですけど、当時は、この女性とはもう会うことがないのかなんて思って、するのを忘れてカメラを向けてしまった女性もいましたね」
中には、今も忘れられない女性がいるという。
「タイのチェンマイで出会ったミャンマー人の女性で、タイ国境ではなくてバングラデシュ近くの村から働きに来ていました。お腹に妊娠線があって、言葉は通じなくても、子どもを置いてタイに来ていたことが分かりました」
吉田は、常に生々しい彼女たちの生き様にカメラを向けながら、スケベ心も持ち合わせていた。
「マッサージパーラーの風呂の中で、女性の素顔を撮影するために水中カメラを買って持ち込んだんですよ。『全裸監督』の村西とおる監督でさえ思いつかなかったんじゃないでしょうか。さすがに、そんな客は見たことないって女性も驚いていましたね」
娼婦を撮り続けるバンコクでの日々も、新型コロナウイルスの感染拡大で終わりを告げた。勤めていた工場が閉鎖され、日本へと帰国したのだった。
しかし、吉田は再び娼婦たちにカメラを向けるため、タイへと戻るつもりだという。まだまだ娼婦たちとのストーリーは続きそうだ。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき)
神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。
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