4月5日、作家の畑正憲さんが北海道中標津町の病院で死去した。87歳没。福岡県出身。2017年に心筋梗塞を発症してからは入退院を繰り返しており、亡くなる1週間ほど前に容体が悪化したという。
長年にわたって親しまれてきた「ムツゴロウ」の愛称は、畑さんが敬愛した作家・北杜夫さんの著作『どくとるマンボウ』シリーズにちなんで出版社が名付けたものだとされる(畑さんは枕を胸元に抱えてうつぶせに寝る癖があり、その姿がムツゴロウに似ていたからとの説もある)。
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1971年に東京を離れ北海道厚岸郡の嶮暮帰島に移住すると、翌年には対岸の浜中町に移り、独力で『ムツゴロウ動物王国』を「建国」した。これは本人が動物好きだったというよりも、愛娘を自然に触れさせたいとの思いからだったようだ。
とはいえ、もともと東京大学理学部で生物学を学んでいたことから、動物についての知識が豊富だった畑さん。ここでの生活を記したエッセイはたちまち評判となり、80年には動物たちとの触れ合いを描いたテレビ番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』(フジテレビ系)が放送されて、以後20年にわたって続く大ヒットシリーズとなった。
人気の理由は、畑さんの過剰とも言える動物たちとの接し方にあった。たとえ猛獣が相手でも「ようし、よしよし」と言いながら笑顔で近付き、体をなで回すどころかペロペロと直接口づけしたりする。身の危険をまるで気にしない畑さんの振る舞いは、体当たりの域を超え「びっくり人間」のようでもあった。
「あの人は不死身だと思っていた」
そのせいで動物に首や頭を噛まれたことは数知れず、テレビ収録中に右手中指をライオンに噛みちぎられる大事故も起きている。それでも畑さんは痛がる素振りを見せずに撮影を続け、手術のために訪れた救急病院では「ネコの大きいやつにやられまして」と笑っていたという。もちろん、危害を加えたライオンへの恨み言は一切なかった。
ウシの尿を「おいしそうですねえ」と直飲みし、巨大なナメクジを生きたまま食べ、ワニの口に頭を突っ込む。アナコンダに首を絞められ、絶体絶命になったこともある。アフリカの奥地へ赴くときも「病気になるかどうかも免疫学の実証実験だから」と言って、感染症予防のワクチンを打たなかったともいわれる。
巷間言われる健康法など意に介することなく、晩年も1日20本のたばこをやめず、就寝前にはカップラーメンを食し続けていた。そのため訃報に際しては「畑さんが死ぬなんて想像できない」「あの人は不死身だと思っていた」などの声がネット上に散見された。
畑さんの豪快伝説は何も動物相手に限ったことではない。作家として世に出る前にはギャンブルで生計を立てていた時期もあったとされ、特に麻雀の強さは〝雀聖〟と呼ばれた阿佐田哲也さんも認めたほどだった。
39歳のときに胃がんを患い、胃の全摘出手術を受けたが、畑さんによれば「いつ自分が死ぬか分からない不安を紛らわせるために、いっそう麻雀にのめり込んだ」とのことで、誰かがぶっ倒れるまで打ち続けたという逸話もある。
競技麻雀の普及、発展にも尽力した畑さんは、自身でも数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟の主要タイトルの一つである『十段戦』の創設にも関わり、畑さんはここで並み居るプロたちを相手にして、第1回を含めた三度の優勝を果たしている。
また、かつて日刊ゲンダイが主催した『雀魔王戦』という不眠不休で半荘50回を打ち続けるタイトル戦でも、畑さんは第1回大会から連覇している。
凡人には信じられない逸話の数々…
畑さんと50年来の交流があった〝カミソリ灘〟こと日本プロ麻雀連盟の灘麻太郎名誉会長が、当時のエピソードを語ってくれた。
「とにかくムツゴロウさんは麻雀が大好きで、ずっと打っていたい、良い手をアガりたいという執着心がすごかった。雀卓を囲めば3日間ぶっ続けは当たり前、1日で終わろうとすると怒るからね。動物王国で麻雀を打つときは、そこら中に犬やら猫やらがいるうえ、雪虫(アブラムシの一種)が大量に飛んでくる。だから気が散る人もいるんだけど、ムツゴロウさんは雪虫が口の中に入っても平気なんだ(笑)。体力勝負、持久戦になると彼は強かった」
人並み外れた気力と体力に加え、いわゆる天才肌でもあった。東大を受験するときも、勉強らしい勉強はほとんどしなかったという。凡人には信じられない話だが、教科書などの書物を一度見ればそのまま記憶できる「瞬間記憶能力」の持ち主だったそうで、これがギャンブルの強さにつながったところもあっただろう。
本業である作家としても、32歳のときに刊行した処女作『われら動物みな兄弟』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。80歳を過ぎてもなお健筆を振るい、生涯でおよそ200冊のエッセイ、小説、ノンフィクション作品などを発表した。また、決して粗製乱造ということではなく、77年には動物文学の発展などの功績が認められて菊池寛賞を受賞している。
監督・脚本を担当した映画『子猫物語』(86年公開)も大ヒットするなど、興味を持って手がけた仕事のすべてに全力で取り組み、いずれにおいても大きな成果を残した。家族や動物たちに囲まれて最期のときを迎えた畑さん。すべてのことを全力で楽しみ尽くした生涯であった。合掌。
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